正社員で働く。契約社員で働く。派遣社員で働く。で、パートタイムになった今。
大学を卒業したのは、就職氷河期…と言われたときだった。
四大文系女子…は最悪だと言われた。
「潰しが利かない」というカテゴリーに分類された。
大学4年の時、一番単位が取りにくいと敬遠される「マスコミュニケーション学」のゼミをとり、現実を何も知らない、あまあまな私は、もちろんマスコミ業界への就職が希望だった。
時は氷河期…。
50社以上にアポイントを試み、20社程の説明会に出向き、希望業界以外にも範囲を広げ、10社程の面接を受けた😅
結局、卒業する3月まで就職先は決まらず、4月になってから、小さな服飾の卸会社に就職した。
敗因は・・・おそらく・・・
4大文系女子であるにも関わらず、勉強もそこそこで、卒業ギリギリまでスキーばかりしてたからかな・・
当たり前だな(^_^;)
就職を勝ち取るためにやったほうが良いといわれたこと
1・3年生の夏から活動を始める
2・資格をとる
3・自己分析をする
4・希望する会社の先輩に話をきく
何もしなかった…
卒業はできたが、その先がない…
さすがに焦って、なんでもいいから!どこでもいいから!って就職先を決めた。
服飾を選んだのは、姉がアパレルで働いていたからの、にわか知識と親近感だった。
が、姉が働いていた大企業とは雲泥の差だし、時はバブル崩壊…
そして、「働く」という認識が無さすぎた私は、その会社8ヶ月で逃げ出した。
私自身がお子ちゃまだった。
そうなんだけど、どうしても上司が人間的に嫌いだった。
対外的だけであっても、華やかなはずのアパレル業界の端くれなのに、化粧もしない、服はいつもシワだらけ、髪もボサボサ。なのに、偉そうに業界を語る・・(当たり前だよね。こっちは新入社員なんだから・・・すいません)
私は、営業部なるものに配属された事務員だったが、何故か毎日ワンボックスで東京の端まで洋服を運んでいた。そして検品。
当時はまだパソコンがある時代ではなく、ワープロで顧客管理なるものもやっていた。後々思えば、なんでもやらしてくれて、ある意味期待してくれてたのかな?とポジティブに考えられないこともないけれど…
学生の時にどっぷりとスキーにはまっていた私は、始めて就職した会社を逃げ出し、スキー場へ向かった。~契約で働くということ。
ずっとお世話になっている宿に転がり込み、宿の手伝いをしながらスキー三昧の日々。その間に、全日本スキー連盟の準指導員を取得し、草大会に出たりしていた。
そんな、スキーシーズンを終えて、下山すると、やはり待っているのは職探し…
もともと、働くのは嫌いじゃない。
高校生になった瞬間から働いていたし。
ただ、その時はどうしてもスキーがしたかった。で、それから3年間は、季節労働者の道を選び、冬はスキー指導員、それ以外の季節はアルバイト。
スポーツクラブの受付、自動車用品店のレジ、カウンターバーなど。掛け持ちもしていた。
スキーインストラクターというのは、期間契約のまあアルバイトです。
そんな季節労働者も長くは続けられない…
いや、続けようと思えば続けられたのかもしれない。実際、ずーっと続けている人もいる。
が、私は下界に降りることを決意した。
理由は、続ける環境を整えられなかったから。
好きな人にふられ、お金もなく、モチベーションもさがり・・・
とにかく不安を拭い切れなかったな。
それに、スキーを極めたいと世捨人になったのに、色恋沙汰にウツツを抜かしていた自分が許せなかった❗んです。
で、またまた、職探し…💦
職業安定所に通いつめ、病院の事務員になった😅
降り幅すごい?
医療事務職は、私の天職なんじゃないかしら?と思うほど楽しかった。
元々、人間が大好き❗人と話して、人と関わって、人の間に居るこの仕事が大好きだった。外来で、指名を受ける(?)ようにまでなり、チーフ職も仰せつかりました。
でも、契約社員というやつで、時給で働いていた。
時給は安かったけど、本当にこの仕事は大好きだった。人間関係もとてもよかった。なによりも、仕事が好きで、人間関係に恵まれてるっていうのは本当にありがたいことです。
結婚しても働くと言う選択
その頃、出会いがあり、その気になり結婚し、全面的に専業主婦希望だったのだか、現実は甘くないなぁ…と職探しをしている矢先に、妊娠。
ここら辺の詳しい話は、また次回。
で、子供を保育園に預けて働くことにしたが、色々制約もあり、希望していた医療事務にはもどれず、派遣社員で事務職に従事することになった。
派遣社員は、条件で働くわけで、しかも務めている会社に雇用されているわけではなく、派遣会社からお給料をもらう。
わずらわしくないので、子育てしながらも、自分のスキルは生かせるという点ではよい。
よいので、職場を変わりながら、10年以上派遣社員をしていた。
その間に、子供が3人生まれた。
一番下の子が、保育園を卒園する頃、フルタイムの派遣社員で、職場を転々とするのがちょっとしんどくなった。
子供ともっと一緒にいるべきだな。とも思った。
パートタイム労働者っていう選択は、ある意味旦那さんに自覚を持ってもらうための手段でもあったのだが・・・
これば、また話が長くなるんだけれども、
今は、パートタイム労働者になって、子供たちのお話を聞きながら、早めの夕ご飯を食べられるっていう。夢にまで見ていた生活を堪能している。
無我夢中で働いて、育児して、家事をして・・・
節約なんてできなかった、時間をお金で買っていたから。
また、がっつり働くことも考えてなくはないが、次は目標をもって、計画的に働こう。それまで、スキルは維持もしくは向上させつつ・・
まずは、旦那さんの「世帯主」という自覚が芽生えさせることが、次の大きな目標である。
どうしても妻帯者が好き?浮気には解決策はあるのだろうか…
浮気をしてしまう人がいる。
いけないとはわかっているけど…ズブズブと…と言うのだろうか。
未婚の浮気は容認されるのに、既婚の浮気は不貞となり…大事件である。
例えば、飲み屋の女性に会社のお金を横領してつぎ込んじゃいました。
とか、
配偶者の浮気の沙汰に刺しちゃいました。
とかでないにしろ、
大なり小なりうじゃうじゃと、世間では「浮気」の話題には事欠かない。
心の問題だからね・・・難しいよね・・・・
そもそも、結婚した相手が絶対正解かどうかなんて、そんなことはわからない。
ある意味、事故みたいなものかもしれないしね・・
けれど、今の日本では一人に一人の配偶者しか認められてないので、それ以外の人と関係を深めてしまうと、罰せられてしまう。
でも、お互いに最終的には自分で選んだ相手なら、その時点でお互いの責任だよね。
浮気する方も、される方も…
どうしても妻帯者と付き合ってしまう人
学生の頃の話だけれど、どうにも妻帯者が好き・・というか、妻帯者に好かれる娘がいた。
容姿は可愛いし、もちろん同世代にもモテるのだが、付き合う人はかなりの確率で妻帯者だった。
当時は本気で、彼女の行く末を心配したもんだ…。
卒業したあとは、仕事で知り合ったのか、かなり年配の方とお付き合いしているという話を聞いた。
このおじ様とは、相当長く付き合っていた。
家にも行くし、奥様も含めて食事をしたりもするし、息子さんも知ってるし・・
なんとも、理解しがたい話だったが、本人はいたって満足気だった。
この人のためなら何でもできると言っていた。
下の世話だってへっちゃらだし、寝たきりになっても愛せる!と。ほんとに・・・
その時、私は独身だったけれど、本当に好きになるとはそうゆうことなのかな?
と漠然と感じたし、彼女の自信満々で満足げな話しっぷりに圧倒されていた。
通常の恋愛なら、もう万々歳で「いいね」「しあわせそう」「ひゅーひゅー」なのだが、相手は妻帯者&かなりの年輩。大概の場合なら、悲壮感漂う日陰の女的に、演歌感たっぷりでお届けしてほしい内容のお話なはず。
けれど、彼女の話には「浮気」とか「つらい」とか暗いワードは一つも出てこない。
ある意味、こいつは悟ったな。と軌道修正をあきらめた覚えがある。
「ファザコンなんだね。きっと」と彼女は言った。お互い、幼くして父をなくしているので、そこに関しては多くを語らずしても分かる。
けれど、私は父ほどの年齢の人は、これまで恋愛対象になったことがない…
この場合、どうやら誰も傷ついていないし、誰も不幸ではなさそうだったので、こういった場合は、何の事件にもならないし、「不貞」にもならない。
「浮気」≠「不貞」である。
「浮気」=「不貞」となる場合は、「裏切られた」「傷ついた」「不幸になった」人がいないといけない。被害者がいないと事件にも、裁判にも、話題にもならない。
となると、解決する必要がない。
ま、こんな場合は特例で、気持ちが動いてしまうことに歯止めがかけられない以上、解決策はないのだろうと思う。
だって・・・体の浮気も嫌だけれど、心の浮気そのうち本気とか、悲しすぎるもんね。
一夫多妻制が認められれば、どうしても複数の人を好きになってしまう人には朗報なんだろう。
それでも「浮気」という炎上キーワードはなくならないのかな。
深いな・・・。
皆から好かれるよい人になりたい。と思うことは悪いことではない。
中学生の時、友達に
「誰にでもイイ顔する人って信じられないよ」
と嗜められて、なんだかすごく恥ずかしい…というのか、自分が人間的レベルが低いような気持ちになった。
思春期の頃というのは、自分の属する友達という集合体がすべてであり、友達と認識している存在からの評価が最重要だったりする。
というのは、私だけだろうか?
父の仕事の関係で、常に大人がたくさん来る家だった。母はいつも作り笑顔を振り撒いていた。
挨拶を促され、
「こんにちは」
と頭を下げるだけで、「しっかりしたお子さんね。」と言われた。
父が病気で、長い入院生活の末、他界したとき、私は13歳だった。中1の終り3月。
母は、不幸のドン底ヒロインを演じ続けていた。と、私には見えた。
決して、気丈に子供たちを支える様な母ではない。
もともと、母を好きになれなかった私は、ますます母を嫌悪した。家族を遠ざけ、友達集合体に身を寄せることが多くなった。
お父さんが死んじゃってかわいそうな子。
という扱いをされると、不思議とバランスの悪い人になって、
属する友達集合体は、たいてい品行方正ではない。
しかし、
私には、人生の指針となる人がいる。
幼い頃から、私を支え、励まし、愛し、寄り添ってくれる人。大袈裟ではなく、生き方を教えてくれる人。
叔母なのだが、ずーっと心のよりどころで、大好きなのだ。
産みの母も健在だか、彼女は育ての親だと、勝手に思っている。
心優しくて、本当に賢くて、そして大胆‼
最近はめっきり会えなくなってしまったけれど、時々電話で話して、私だけ元気をもらっている。電話の最後には必ず、「ありがとう」と言う。
「あなたなら大丈夫よ。」と言ってくれる。
「優しい子ね。」と言ってくれる。
「元気?」と言ってくれる。
「いい人でいたいのよ」とその人は言う。
私も…優しくて、賢くて、大胆な彼女のようになりたい。といつも思っている。
「『いい人』が人に嫌な思いをさせることは少ないからね。」と…彼女は言う。
「いい人」は、嫌われちゃうって・・
なんで思ってたんだろう。
「いい人」でありたい。今は心の底からそう思う。
でも、「いい人」って本当に大変(^_^;)
大変だけど、やっぱり「いい人」いたい。
みんなが笑顔が一番いい。
人生をともにあゆむ・・・
「誰かいい人がいたら紹介して!」
・・・って(-_-;)
「良い人」?
「好い人」?
「善い人」?
難しいですよね。
先日、職場で小耳にはさんだご紹介話。
依頼者は、取引先の社長さん。・・のご長男さんのお嫁ちゃまをお探し。
ご家族で経営されてる会社だし、ご長男だし・・・ね・・・(^_^;)
そして、四十も半ばだそうで・・・。お父上の心労もお察しします。
が!これね、20代の頃とはわけが違うでしょ?でしょ?
それで思い出した・・・・
私が20代後半の頃、「合コン」と「飲み会」の違いがわからぬまま、いろんな「飲み会」(私の感覚ではね)に行っていた。
「合コンやろうよ!」という、男子からのお誘いもあった。
そんななかで、学生時代の先輩が、就職先の方々と合コン設定を脅迫してきた(-_-;)
当方、当時は医療関係にお勤めで、女があふれる職場ではあった。
かたや・・先輩様はシステム系のお仕事で、いうなればオタク?インドア?的なお集まり・・
女子には、あんまり受けない感じで・・・
けれど、この先輩。
学生時代、わたしが所属していた、バリバリ体育会系愛好会の2コ上で、お断りすれば血を見るな・・・と思ったので。軽くセッティング♪
当日・・・
現れた先輩様は、なんとジャージ姿!
え!いや・・・
ジャージですか?
ご要望は、合コンでしたので、
若い綺麗どころをチョイスしてきましたが・・・
ジャージですか?(ー_ー)!!
先輩様いわく「これはおしゃれなジャージだ!!」
へぇ~
ほかの方々の服装はまったく覚えていない・・。すいません(^_^;)
しかも、お話をした記憶もない。すいません(^_^;)
でも、まあ・・なんだかよくわかんないけど。
この合コンで、先輩様とわたくしお友達が出会い、結婚し、お子様にも恵まれております。
思うに、
人生を共に歩む相手というのを探すのは、行動と決断なのだ!
と短絡的には思う。
ただ・・・それだけじゃないことも、吐きそうなほど知っている。
なにはともあれ、取引先のご子息にも「よき出会い」が訪れます様に・・・